敗戦後の混乱も落ち着いて、人々の文化に対する意識が戻り、音楽会が開催され始めた頃―1948年(昭和23年)に、現社団法人日本クラシック音楽事業協会の前身である「音楽マネージャークラブ」が発足した。会員は、東京在住のマネージャー5名であった。その後1960年には、「音楽マネージャー協会」と改称し、東京交響楽団、東京フィルハーモニー交響楽団、長門美保歌劇団、二期会、梶本音楽事務所等が入会して、19社と一挙に会員数が増え、組織は拡大した。その後も順調にオーケストラ、合唱団、音楽事務所が加わって、1960年代に入ると、地方のオーケストラも加わり、会員数も飛躍的に伸び、活動の幅も広がった。1968年には、青島俊夫氏(東京フィルハーモニー交響楽団)が理事長に就任し、その活動はさらに充実していった。
1981年より、同協会運営による「東京文化会館チケット・サービス」が発足して、対面販売を行い、熱心なクラシック音楽ファンへの要望に応え得るようになった。また、1983年には、クラシック音楽ファンへの情報サービスとして、朝日新聞(東京本社版)の夕刊に「音楽情報」欄が設けられ、週1回の掲載が始まり、聴衆へのサービス面も拡大していった。
1986年には、青島俊夫理事長が死去し、7月より野口幸助氏(大阪フィルハーモニー交響楽団)が理事長に就任する等変化があったが、1987年12月には、シンガポールにおいて開催された、第6回FACP(Federation of Asian Cultural Promotion―アジア舞台芸術促進会議)に参加し、また1988年には、公文協(全国公立文化施設協議会)との共催による、自主文化事業研修会をサントリーホールで開催する等、80年代になると、協会の活動は国際的にも地域活性化の面でも広がりを持ち、活発になっていった。
1990年、協会は設立40周年を迎え、8月にはサントリーホールでクラシック音楽を広くアピールするためのコンサート「クラシック音楽の日」を開催した。9月には、理事長に梶本尚靖氏(梶本音楽事務所)が就任した。しかしながら、同年、オーケストラ17団体が共通の課題や目的を持ちながらも、組織の性格や立場の違い等から退会し、「(社)日本オーケストラ連盟」を結成することとなった。当時の会員は、マネジメント企業47社、オーケストラ3団体、オペラ3団体、合唱2団体の正会員55社と、特別会員12、賛助会員13の合計80会員であった。
1993年8月、「日本音楽マネジメント協会」と改称。9月には2回目の「クラシック音楽の日」を東京芸術劇場で開催した。この時期、正会員は62、特別会員は12、賛助会員は13で、合計87会員であった。1994年には、独立した協会事務局を東京・目黒駅近く(品川区上大崎)に設け、中藤泰雄氏(ジャパン・アーツ)が理事長となった。
1995年には、第13回のFACPを神戸で開催した。一方、任意団体であった組織を通商産業省の所轄する社団法人とするための作業を開始し、同年11月1日付けで設立認可を受け、念願の法人化が達成され、「社団法人日本クラシック音楽マネジメント協会」が誕生した。社団初代会長は神原芳朗が務め、2代会長は中藤泰雄が務めた。
社団設立以来、聴衆拡大のための「クラシックはいかが?」の企画コンサートを実施し、併せて、クラシック音楽に関わる人材育成のプログラムとして、研修会・シンポジウム・フォーラム等の活動を展開した。そのような活動を通じてマネジメント社のみが中心ではクラシック音楽の発展のために十分な取組が出来ないとの認識から、会員の範囲を拡大し、ホール、音楽出版事業者、音楽情報提供事業者、音楽家等の参加を得て、2000年(平成12年)1月より、「社団法人日本クラシック音楽事業協会」と名称を変更した。
社団の活動として、『クラシック音楽文化シンポジウム』を東京、大阪で開催し好評を得ている他、マーケティングの活動として毎年テーマを決めて調査活動を行い、報告書にまとめ各地で報告会を開催している。又、財団法人地域創造の行なう公共ホール活性化事業に協力事業として参画しアーティストの選考、研修、派遣を会員各社と行っており、海外への日本のアーティストを紹介するWEBサイト等も展開している。尚、2002(平成14年)年1月より第3代会長として佐野光徳が会長に就任した。
2003年(平成15年度)からは、文化庁舞台芸術国際フェスティバルの制作の委託を受け関西元気文化プロジェクトと共に、関西地区を中心に質の高い公演事業を展開。2004年(平成16年5月)には、従来の事業活動の領域をクラシック音楽文化活動にまで幅を拡大し、事業者のみならず、文化活動に関わる団体をも網羅する組織として、従来の経済産業省に加え文部科学省〔文化庁〕も主務官庁とする共管の社団法人として活動することになった。2005年(平成17年)には、財団法人地域創造に協力して実施している公共ホール音楽活性化事業に加え新たに同支援事業を制作協力として実施する他、翌年には中越地震復興祈念支援事業として、地域創造と共同で、中越五市町との共催による被災地の慰問コンサートを展開する。
2007年(平成19年)には、増加するクラシックファンに向けて「クラシックスマイル&ハーモニーキャンペーン」として、観客同士が楽しめるコンサートの雰囲気作りに向けたキャンペーンを財団法人日本宝くじ協会の助成事業として展開し、コンサートの顧客マナーの向上を会員と協力して実施する等、社団としての活動は隆盛期を迎え、第4代会長 田中珍彦が会長に就任する。2008年(平成20年)には、宝くじドリーム館でのランチタイムコンサートが開始されると共に、会員内外のクラシックコンサート情報を網羅したウェブサイト「クラシックコンサート情報公式サイト Japan Classic Navi」を運用開始する。翌年の平成21年には「天皇・皇后両陛下 ご成婚50周年 ご即位20周年記念コンサート」をNHK、産經新聞社等とともに実施する。
2010年(平成22年)には、社団の新たなる普及事業として「JAPAN CLASSIC FESTIVAL」を開始し、次世代を担う子どもや若い世代へ向けたクラシックコンサートの普及事業を展開する他、 東京文化発信プロジェクトの一環として「ミュージック・ウィークス・イン・トーキョー」を実施し、世界に向けて首都東京のクラシック音楽文化を発信すると共に、翌年には関連事業として東京音楽アカデミーを実施した。2011年(平成23年)、東日本大震災による被災地復興支援事業として「心の復興音楽基金」を設置し、被災地にて慰問活動を実施する音楽家の支援事業を立ち上げる。尚、同年4月、第5代会長として関田正幸が就任する。
2012年(平成24年)には産学連携業界共通テキスト「クラシック・コンサート制作の基礎知識」を発刊し、業界の人材育成に向けた産学連携を推進。翌年の2013年(平成25年4月)に 公益法人制度改革に対応し、一般社団法人に移行。クラシック音楽の普及活動と音楽文化の発展に資する活動を両輪とした新たな事業運営に着手する。2014年(平成26年)には、コンサート事業における検定制度の導入に向けた業界の人材育成として「クラシックコンサート制作基礎講座」を開始する他、9月には協会役員等の尽力により約20年ぶりにFACP(アジア文化芸術交流促進会議)2014日本会議in川崎が日本で開催された。
2015年(平成27年)には、観客の高齢化を踏まえ、未来の観客育成として、新たなる普及事業「こども青少年クラシック音楽普及プロジェクト」(略称:Y:Classic)を開始。2016年(平成28年)には、東京2020に先立ち、クラシック音楽関係団体と共同で、東京五輪に向けた文化プログラム推進事業 キックオフイベント「Summer Arts Japan2016〜都市のレガシーはTOKYOへ」を開催した。2017年(平成29年6月)より第6代会長に西村友伸が就任。
2018年(平成30年)には、若年層やライト層を中心とした新たなる観客の掘り起こしに向けスマートフォンを活用したコンサート情報アプリ「チラシクラシック」を始動、運営すると共に、クラシック音楽の敷居を下げ、裾野を拡げる活動として屋外でのクラシックフェスティバル「STAND UP! CLASSIC FESTIVAL」を会員と協力して推進し、時代に則した観客拡大に取り組む等、常に先端を見据えた普及活動を展開している。2019年(令和元年6月)より第7代会長に入山功一が就任し、更なる活動の充実が計られている。
2020年(令和2年)初春より全世界に猛威を振るう新型コロナウイルス感染症の脅威により、様々な社会活動が自粛を要請された。とりわけ多くの人々が密集する「イベント」においては、クラシック音楽もその対象とされ、多くの公演が中止・延期となり、公演回数・観客・事業収入の全てが激減し、音楽家の活動そのものが脅かされる我が国の文化芸術活動史上最悪となる被害を記録した。そのような中で、入山功一会長のリーダーシップのもと、クラシック音楽関係団体の参画を経て発足した「クラシック音楽公演運営推進協議会(当協会が事務局団体)」により、政府との協議によるガイドラインを他の業種に先駆けて策定し、公演活動を安全に実施する為の飛沫飛散の科学的検証への取り組みにより、イベント関係ではいち早く公演が再開された。その他、緊急事態宣言やまん延防止等重点措置によるイベント開催制限への緩和要望の取りまとめ、音楽家や芸術団体・事業者の損失補填や協力金・補償金の要望、又、内閣官房や文化庁等の様々な会議への参画等を通じて、我が国のクラシック音楽業界の基幹団体として活動している。